見えない「お化け」を可視化する
掲載内容は当時のものです。
「私の専門は地理学です」
そう聞いて、地理A、地理Bの教科書が皆さんの脳裏を過ぎるのは至極ごもっとも。「雨温図みて何気候か分かる人ですよね?」、「スリランカの首都がコロンボかスリジャヤワルダナプラコッテかが分かる人ですよね?」―学問としての地理学の認識は、そんなところではないでしょうか。しかし、地理学は皆さんが考えているよりも、はるかに自由な学問分野です。何しろ対象の制約はたった1つ。「地表上に、何らかの空間的な広がりをもつ現象」だけなのですから。
物を買ってお金を払う。そのときお金は交換を通じて人の手から手へと渡り、世界を行き来します。こう考えれば経済活動は地理学の対象ですね(経済地理学)。あなたの今日一日の生活パターンもそう。24時間の中であちこち行動したでしょう(時間地理学)。え?部屋から一歩も出なかった?だとしてもあなたに「部屋からみて学校はどっちにありますか?」と聞いたら、視野に学校が入ってなくても学校の方位や距離はうすうす分かるでしょう?それはどうして?そのメカニズムを研究すればこれも地理学(行動地理学)。地理学は、実のところこの世の中のほとんど全ての現象を守備範囲に収めているのです。
「じゃあ、お化けは地理学にできますか?」
では、お化けという、およそ学問とは無縁そうな題材ならどうでしょうか。実は地理学なら、お化けすらも学問にすることができます。ここで、私が大学院の指導学生と一緒に行った研究を少しご紹介することにしましょう。
1910年、日本は史上空前のオカルトブームのただ中にありました。旧帝大の教授2人が、遠隔透視能力をもつと自称していた女性を相手に大まじめの透視実験をやったのがこの年なのです(千里眼事件)。
富山県内の2つの地方紙もこのオカルトブームに乗り、県内の怪談話を収集して連載記事を企画しました。この怪談話には、誰がどこで、どんなお化けにあったかが説明されています。この怪談話を地図上に落としたらどうなるでしょう?ほら、「地表上に、何らかの空間的な広がりをもつ現象」になりませんか?私と私の指導学生だった于さんはこのようにして、今から100年前(大正時代)の新聞に載っている怪談の中から、出たお化けの種類とその位置情報を抽出しました。同じように現代の怪談話を、ウェブ上の心霊サイトやSNSのログから抽出。100年の時を経て、お化けの出没地点がどのように時代変化し、出てくるお化けがどのように変容し、怪談の語り口がどう変化したのかを、科学的に比較することを試みたのです。
お化けも地理学になる
表1は、各々の怪談の中にお化けや怪奇現象(=怪異)が出てきたときに1、出てこなかった時に0とカウントする方法で、100年前と現代の怪談の内容を数学的に比較分析した結果です。p値が0.05未満の項目は、大正時代と現代の怪談の間に有意差=偶然では片づけることのできない、数学的に意味のある差が存在していることを示します。
表1
大正群と現代群のエピソードに含まれる要素の
群間有意差検定結果(U検定)
「語り手の話法」からは、大正時代の怪談は直接経験の形で語られ、現代の怪談は不確かなうわさの形を取る傾向があることが分かります。同じように「怪異の特性」からは、大正時代には目に見えていた怪異が見えない存在になっていったことが分かりますし、「怪異の類型」からは、大正時代の怪異は種類も豊富であったことが分かります。現代群の値が有意に高かったのは「幽霊」だけでした。つまり、現代の怪異は画一化され、目にも見えない存在になっているのです。
怪異にまつわる場所に違いはあるでしょうか。「場所の特性」は、怪異の報告された場所を種類別に分類して、大正と現代の有意差を検討したものです。大正群は現代に比して、野山や水辺、田圃のほか、火葬場や墓地、寺社などの生活圏の周辺が選ばれていることが分かります。でも、現代のそれは廃墟とトンネルだけ。大正時代は居宅にもあらわれた怪異は、現代は人里離れた空き家や廃墟、トンネルでしか遭えない存在になってしまったというわけです。
大正時代は今よりも、怪異がずっと身近な存在だった―これを出没地点の違いから見たのが図1です。個々の怪談の文章を丁寧に読み、その中から出没地点を特定する手掛かりを探します。出没した場所さえ特定できれば、コンピュータの中にその位置情報を取り込み、大正時代の分布パターンと現代の分布パターンの「空間的な引き算」処理を行うことによって、富山県内のどの辺りに、大正と現代の怪異がより現れやすいか、を可視化することができます(ラスタ演算といいます)。色が赤に近いところほど、現代と比べて大正時代の怪異がより現れやすく、青に近いほど現代の怪異が大正のそれに比して現れやすい場所であることを意味します。ちなみに、グレーの部分は森林地帯。どうですか?青のエリアは、ほとんどが森林地帯だと思いません?この分析からも、現代のお化けが市街地の生息場所を追われ、急速に山間部へと引っ込んでいっている様子が分かるのです。存在するなんて口にしたら笑われそうなお化け、人のうわさ話にすぎないものでも、工夫ひとつで科学になるのです。
勉強と学問は違います
高校生の皆さん、受験に向けて大変な日々をお過ごしでしょう。苦しい受験を克服した先に薔薇色の学生生活が待っていることを夢見て、懸命に勉強に勤しんでいることと思います。でも、皆さんが今している勉強は、学問ではないのです。
皆さんが覚えているのは正解でしょう。問題を解くのは正解にたどり着くためですよね?でも、その正解を最初に見つけたのは誰?そう、皆さんではないのです。
大学で皆さんに求められるもの、それは人が作った正解を覚える消費者としてのあなたではなく、新しい正解を生み出す知的生産者としてのあなたです。ふざけているように見えるお化けの研究も、これまで誰も試みなかった方法で、お化けを分析できるという発見をしたから、学術誌に掲載されました。次はあなたの番です。大学はあなたが新しい正解を探すためにある場所です。
あなたの求める正解が、地理学の守備範囲と交錯していたら―そのときはキャンパスの中で、お会いしましょう。
文中で紹介した成果が載っている論文
鈴木晃志郎?于 燕楠 2020. 怪異の類型と分布の時代変化に関する定量的分析の試み. E-Journal GEO 15(1): 55-73.